松葉巳鶴

松葉巳鶴です。人間嫌いと人間好きが転じて占い師をやってます。

『Coda コーダ あいのうた』の感想とモラハラの話と

『コーダあいのうた』、ボロッボロ泣いちゃった………
感動とかじゃなくて、主人公ルビーのあまりのヤングケアラーっぷりと序盤に来る典型的な「毒になる親」の接し方が、もう辛くって苦しくって。

(パパとかお兄ちゃんは夢を追いかけろよ!って言ってくれるしお母さんはお金の管理頑張ってるし最後はハッピーだし愛もあるよ!!それはそれ!!!!)


あとめちゃくちゃ大変な状況の中で頑張ってる主人公を見てたら、今まで来てくれたお客さんたちを思い出してしまって………みんな元気にしてるといいな………。

その時期が抜けるをの待つしかないケースとかね、定期的に思い出して大丈夫だったかなぁと思いを馳せています。皆おいしいもの食べてあったかい布団で寝ててほしい。

 

私何度か名義を変えていて、その後を知ることができない方々もいらっしゃるので余計にね。変えなきゃいい話なんだけど場所移ったりするとどうしても……。占い業界って館を移る時に「名前をおいていけ!」と言われるのが多い気がします。千と千尋ですね。

 

 

さて話題がずれた!今日は映画の話

『Coda コーダ あいのうた』の感想をつらつらと

 

主人公ルビーの両親の話

主人公が「嫌だ」と本気で主張しているのに辞めない、真剣に取り合わない「やれやれこの子ったらウフフ」みたいな態度!これ自尊心を削るやつ!!

モラハラ被害でもよく聞くやり口ですね……。絶対ダメ!

「嫌だ」と言ったら相手(特に親とか。幼少期自分の周りにいた大人)がきちんとやめてくれたっていう成功体験は必要なんだよね。じゃないと相手と自分の境界線の引き方がわからなくなる。

あと「大人が笑ってるってことはこれは冗談として受け止めるべきことなんだ」と自分の気持ちを無視する癖がついたりね。

こういうのって全部、相手を1人の人間として見ていないから取れる態度ですよね。ペットか何かのように扱われて育つ自尊心なんてありません。

 

 

ルビーの部活仲間(男)が来ているのに気が付かないで性行為をしている。これはまぁ……わかる。

ルビーが「違う」と伝えているのに彼をルビーのボーイフレンドだと認識して「ゴムはつけろよ」とジョークなんだか本気なんだか、手話がわからない彼にもわかるようななんか卑猥なジェスチャーをする。だめだよ!!

 

 

ルビーが勉強中にイヤホンをしていると母親に「外しなさい」と窘められます。一方、食事中にマッチングアプリの画面を両親に見せる兄。この子はどうだ、あの子はどうだって。

「音楽はだめで食事中にマッチングアプリはいいの?!」

「だってみんなで楽しめるじゃない」と母親は言っているけど……。

お兄さん、ルビーにはスマホの画面が見えないような出し方をしているんですよね。ルビーと、ほかの家族3人の間に隔たりがあるという表現なのかなと思いつつ、もやもやしてしまう……。

 

性的なことに対する配慮も欠けているし、これ聾者が云々ではなく、「聞こえる聞こえないの壁」を使って子供を理解できない親と、「自分がいなければ家族は立ちいかない」と思い込んでしまっている子供だなぁと。誰にでも起こりうる話ですね。

 

 

日本語訳しか見てないので原文はニュアンスが違うのかもしれないけど
「ママは鬱陶しいわよね……」「ママが鬱陶しいのは聞こえないからじゃないよ」みたいな、これ本当にそうだと思う


じゃあ母が悪いのかというと彼女の人生の中で育んできた常識だから解決策は「適切な距離を置く」一択なんですよね。

母親の「耳の聞こえない子が生まれてきてほしかった」は本心なんだろうとは思うし、それを伝えるのには勇気が必要だったんだろうな。でも、「聞こえない子が生まれてきてほしかった」という思いが根本にある親と接するの苦しいよ……。どうしても母親も人間だからその思いは行動の滲んでいるし……


実家を離れるという選択をするには世の中の「愛は素晴らしい」「親や子を愛することは正義だ」という風潮が強すぎる。
でも愛を全ての免罪符にするとモラハラやヤングケアラーの役から逃げられなくなっちゃうし、嫌な思い出ばかりじゃないから厄介ですね。

子供から親元を離れるのは心理的ハードルが高すぎるから親の方から手放してあげなきゃいけないんだろうな。実際映画も(ほんっとうにギリギリのラインだけど)そんなエンディングでしたし。

 

お父さんは最初から「音楽を楽しむ人間であること」が描写されていました。物語終盤、娘の首に手を当てて振動を感じるシーンは、これが彼らの伝え方、受け取り方なんだなと。すごく好きなシーンです。自由に生きてほしい父親、家計を考えるとどうしても娘に家にいてほしい母親。みんな一生懸命だから仕方がないんだけどさ……

 

『Coda コーダ あいのうた』私は好ましい映画でした。

音楽の先生がやってた「声を出せ!汚い声?それを聞かせろ!もっと、もっとだ!力を入れて!」って主人公をあおるシーンは自己理解の心理療法的なものも感じられましたし、子供が一人の人間としてアイデンティティを確立していく過程を描いているんだろうな、と。

それはそれとして、下品で荒れくれ者で、自己中、みたいなルビーの両親の悪い面が聾者のイメージとして普及してはいけない、というのは真っ当な批判だと思います。

だからあれは聾者の話というより、話を聞かない親の話という印象が強かったなぁ。2回目はもっとフラットに異文化交流の話としてみることができるのかなぁ……。

もう最初のルビーの孤軍奮闘が辛くて辛くてそこばかり気になってしまったので。

 

 

 

モラハラの話

『Coda コーダ あいのうた』は親子関係の話で、私たちは親も子も選べません。

人生で選べるのは伴侶と友達だけらしいのでモラハラ人間を遠ざける方法のお話を。


私の周りにもモラハラの相談って本当に多くって、あまりの多さに既婚子持ち夫婦の中からモラハラ野郎を抜いたら20%くらいしか残らないんじゃないか??なんて思うほど。暗澹たる気持ちになりますね。 

でも傲慢な人間の傲慢さって結婚した後に出てくるんですよね……。昔は私もそれがわからなくて何度も母親に「なんで結婚したの?」って聞いちゃったな……。

そりゃそう聞きたくもなるような父親だったんですけど、母からしたら辛かっただろうなと少し反省してます。それはそれとして「夫婦」は対等な立場なんだから傲慢が出てきたらもっとちゃんとキレておかなきゃだめだよママ………。

 

 

 

 

モラハラ、いじめを遠ざける方法

モラハラって自分より立場の弱い人間にどうしても発生してしまうんだと思うんです。 (もちろんモラハラするやつがもちろん一番悪いんだけど)職場にしろ、PTAにしろ趣味の場にしろ、いじめられやすい人っていて、なぜかそのコミュニティ全体に「この人は軽んじてもいい存在なんだ」って雰囲気が出てしまう。

 

モラハラを近づけない、人に軽んじられない方法は「我慢しない」です。

嫌なことをされたらその場で「嫌だ」と伝える。

上品で気遣いのできる優しい方ほど「自分さえ我慢すれば」と考えるかもしれませんが、そのやさしさの上で胡坐をかいて一升瓶ラッパ飲みして「座り心地が悪いぞ!もっと酒を持ってこい!」とか大声で怒りだすような人間っています。

 

「自分はこれをされたら失礼だと感じる」「軽んじられていると感じる」というものを明確にしておいてくださいね。その場で「そういうことをされるの嫌です」と言えるとこまで来たらもう拍手喝采です!!すごい!!

 

他にもいじめられない方法は、謝りすぎない。ありがとうを言いすぎない。

一度ついたイメージを変えることは難しいので、みんなにバカにされている雰囲気を感じたらコミュニティを変える、とかね。

自分より他人を優先しすぎたり、尊重しすぎたりすると、ハラスメントやいじめも発生しやすくなります。

 

映画の話から話があちこち飛んでしまいましたが、モラハラといじめに遭いにくくする話は今度もう少ししたいなと思ってます。ありがとうを言いすぎない、とか誤解を生みそうな文面なので!ありがとうって言えるあなたは素敵だけど言いすぎるとまずいよ!って話を今度します。

 

「嫌だ」と言いすぎて傲慢になってないか問題に関しては私も悩んでいる最中なのでいい解決策があったら教えてください。